オランダ時代

台湾(フォルモサ)の発見

「台湾(フォルモサ)の発見」

15世紀から16世紀にかけてヨーロッパで大航海時代、アジアの海上はマカオを租借したポルトガル、フィリピンルソン島を拠点としたスペイン、インドネシアジャワ島を拠点としたオランダがそれぞれ海上の覇権を競っていました。1625年にオランダ人によって描かれた台湾全島図には、3つの諸島として描かれていた台湾ですが、1つの集まりと扱った最初の地図です。台湾は、16世紀中期ポルトガル船が台湾の近海を通過した際に船員が偶然水平線に緑に覆われた島を発見します。その船員は、台湾の美しさに思わず「Ilha Formosa(ポルトガル語で「美しい島」の意味)」と叫んだことから、台湾は「フォルモサ」の名称が付けられ、ヨーロッパに紹介されるようになりました。台湾発見に関しては、コッパー(Cooper)の1517年、王育徳の1541年前後、国立故宮博物院の1542年、頼建国の1544年、中村孝志の1557年と諸説存在しています。1554年にロポ=ホーメン(Lopo Homen)により作成された地図の中に、琉球諸島南方に「I. Fremosa」の委細があることから1554年以前であることが判明しています。ポルトガル人が台湾に最初に到達していますが、台湾との関係は原住民とアヘン等小規模交易に留まり、植民地経営までには至っていませんでした。台湾に最初に本格的な進出を行なったのはオランダです。

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