日本統治時代

台湾の製糖会

新渡戸 稲造と台湾には深い繋がりがあります。新渡戸は、39歳で台湾総督府の技師として赴任しました。

1906年12月には明治製糖株式会社が塩水港庁に設立され、さらに日本の大日本製糖株式会社も台湾へ進出します。台湾製糖も21年7月に九州製糖工場を竣工させ、台湾で製造した原料糖を神戸と九州の2工場で精製する体制を築きました。

新渡戸の努力によって発展した台湾の製糖会社は、45年日本の敗戦によって大きく様変わります。台湾における台湾製糖、塩水港製糖、大日本製糖、明治製糖の4社は、その資産を中華民国政府によって接収され、46年5月に合併されて台湾糖業公司として設立します。台湾糖業公司は50年代から60年代にかけて、大量の砂糖製品を輸出、大企業に成長。台湾糖業公司は現在でも台湾最大の地主であり、農場を中心に台湾各地に広大な土地を所有しています。通称「台糖」と呼ばれ、台湾における歴史ある企業として今も活動しています。

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