台湾人の台湾

台湾人の台湾

1947年2月27日の事件から派生した民衆の抗議活動は台湾全島に広がり、「台湾人にも社会参画する権利をあたえよ」という正式な要求を行政長官に行うまでに至った。陳儀行政長官はそれに応じるかのようにふるまいながら、一方で中国大陸の蒋介石に救援を求める電報を打っていた。蒋介石はすぐに軍隊を台湾に差し向け、3月8日に上陸した中国兵は無差別に台湾人を殺し始めた。無実で無抵抗な台湾人を簡単に殺す中国兵こそが、「台湾人は中国人ではない」と証明している。
それにもかかわらず、日本人、外国人、台湾人のなかには、間違った「台湾人は中国人だ」の思い込みがある。世界での理解不足が多く、「台湾人は台湾人」と伝えて行かなければならない。
1947年2月28日に起きた二・二八事件は、台湾人の主張に対して、中国人が無差別殺人を行った。わずか一カ月間に、将来を担うリーダーとなるべき人、医者や弁護士、教師、学生たち3万人の台湾人が、みせしめの為に市民生活の場で惨殺された。二・二八事件は、「台湾人が終戦後、中国人に植民地統治された」という事実に気付く出来事です。
台湾人は、四百年前頃から台湾に入った移民と有史以前から台湾に住む原住民族が共に暮らし、オランダや清朝や日本の統治をうけて出来上がった民族であり、中国大陸の政権盛衰とは全く違う歴史を歩んできている。
第二次世界大戦後、連合国の一員として台湾の接収に来た中国(中華民国)は、不当に台湾人の権利・財産奪い、自由と希望を踏みにじった。日本時代に基づき社会を運営していく近代精神を知った台湾人にとって、やってきた中国人の傍若無人な統治は耐えられないものであった。中国(中華民国)の統治は、台湾人失業者があふれ、食糧難で餓死者まで出る事態になっていた。
台湾人は「祖国台湾」の胸に帰れ、徹底的に中国人に蔑視され、母語さえ禁じられた台湾人、自らの置かれた立場に気付いた時、すでに遅く台湾人を助ける者は誰もいなかった。日本は敗戦国として台湾から引き揚げ、GHQ管理下にあった。中国は常任理事国になり、アメリカの支援を受けていた。
教育程度の非常に高かった台湾人が、中国人当局(中華民国行政長官公署)に抗議することもできず耐えていました。
二・二八事件の後、台湾人の報復を恐れる中国人は、監視体制を強化し、白色テロと呼ばれる弾圧を40年間も続けた。ナチスやポルポトの人民抑圧と同じあったが、ナチスやポルポトの勢力維持は歴史的に見れば短期間であったのに対し、中国(中華民国)中国国民党の場合は、戦後長きにわたって台湾で支配者として生きながらえていた、台湾人へ植民地統治を強いてきた。

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