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緑島の人権記念公園を巡る:自然と歴史の融合した場所

緑洲山荘とは?緑島に残る白色テロの記憶をたどる旅

台湾・緑島(リューダオ)は、一見するとまさに楽園のような場所です。たとえば、透き通るようなエメラルドグリーンの海に囲まれ、白い砂浜が広がるその光景は、訪れる人々の心を癒やしてくれます。観光地としても人気があり、ダイビングや温泉、自然散策などを楽しめるスポットが豊富にあります。つまり、外から見ると、ここはただの美しい南国の島であり、穏やかな時が流れているように見えるのです。

しかし、その美しさの背後には、かつての痛ましい過去がひっそりと息づいています。緑島は、かつて台湾の戒厳令時代に政治犯を収容するための監獄として使われていた場所でもあるのです。とくに「緑洲山荘(りょくしゅうさんそう)」という施設は、その歴史を象徴する建物であり、多くの人々にとって記憶と向き合う場でもあります。今回は、その緑島に残る歴史的な遺構や、そこに刻まれた人々の記憶をたどりながら、観光地とは異なる側面に触れていきたいと思います。

緑洲山荘とは何か?その歴史と役割を知ろう

白色テロ時代に建てられた政治犯収容所

1972年、台湾政府によって建設された「緑洲山荘」は、政治犯を収容するための特別な施設でした。この時期は、いわゆる「白色テロ」と呼ばれる時代であり、政府の方針に反する言動をとっただけで命運が大きく左右される状況だったのです。たとえば、共産主義に関心を持っていたり、その思想に少しでも関与していると疑われたりしただけで、即座に逮捕されることもありました。つまり、証拠が不十分であっても、疑念一つで人生が大きく狂ってしまう恐ろしい時代だったのです。

そのような背景から、多くの若者や知識人たちが、この緑島に強制的に送られ、自由を奪われるという現実に直面しました。特に大学生や知識層がターゲットになっていたことから、学生運動や自由な言論活動に参加していた者たちは、多くが収監されることになりました。そう考えると、もし自分がその時代に生きていたなら、何気ない発言や行動がきっかけで、同じようにこの島の監獄に送られていたかもしれないという想像が頭をよぎります。現代の自由の重みを改めて感じさせられる瞬間です。

緑洲山荘の構造と施設の特徴

高い塀に囲まれた敷地の中には、無機質で冷たいコンクリートの建物が並びます。収容棟、食堂、監視塔…どれも、ただの建物なのに、妙に重苦しい空気をまとっているんです。

その空気を肌で感じた瞬間、言葉では表せない胸のざわつきが走る。まるで時が止まって、当時の声が壁の奥から聞こえてくるような感覚に襲われます。

現在は監獄博物館として公開

今ではこの緑洲山荘、台東県が「緑島人権文化園区」として整備し、誰でも自由に見学できるようになっています。入場料は無料。

館内には、当時の資料や元収容者の証言映像などが展示されていて、一つひとつ見ていると、思わず立ち止まってしまう瞬間が何度もありました。重くて、でも目をそらしちゃいけない事実が、そこにはありました。

人権記念公園の役割と意味を学ぶ

将軍岩近くにある記念空間

緑洲山荘から少し北へ歩くと、視界が一気に開けて、海に面した芝生の広場にたどり着きます。円形に囲まれた石造りの空間、ここが「人権記念公園」です。

目の前には「将軍岩」と呼ばれる奇岩がそびえ立ち、静かな海と相まって、なんとも言えない神聖な空気が流れています。自然の美しさと、そこに刻まれた人の痛みが不思議に共存していて、心が締めつけられるような気持ちになります。

石の壁に刻まれた名前と記憶

記念ホールの壁にびっしりと刻まれているのは、白色テロによって人生を奪われた人たちの名前。その一つひとつが、誰かの父であり、母であり、子どもだったんですよね。

名前だけで語られることのない物語が、静かにそこに存在している。思わず手を合わせたくなるような、そんな場所です。

感情を表現する造形美

このホール、実は円形に設計されています。閉じた形は、逃げ場のない絶望を表しているとも言われている一方で、天井がぽっかりと空に開かれている部分は、希望や再生を象徴しているんですって。

私には、その空が「忘れないで」と語りかけてくるように見えました。建築って、こんなふうに感情を伝えることができるんだ…と、ただただ感動。

観光地としての緑島と過去のギャップ

監獄の前に広がる穏やかな風景

緑洲山荘の門を出ると、すぐそこに広がっているのは、信じられないくらいきれいな海と白い砂浜。そして、牛を連れたおじさんがゆっくり歩いていたりして、まるで映画のワンシーンのよう。

けれど、数十年前ここに閉じ込められていた人たちは、この景色を見ることすらできなかった。美しすぎるこの風景が、かえってその過去の重さを引き立てているようにも思えます。

岩に残された「滅共復国」のスローガン

近くの岩肌には、「滅共復国」という文字が、今もはっきり残っていました。思わず二度見してしまうような力強い言葉。まさに時代そのものが刻み込まれている“化石”みたいな存在。

まるで、日本の戦時中のスローガンが壁に残されているのを見たときのような、不思議なリアリティがありました。

歴史教育としての観光価値

緑洲山荘や人権記念公園は、ただの「観光スポット」じゃありません。ここには、「知るべきこと」が詰まっています。実際に現地を訪れると、教科書で読んだ歴史が急に自分の中に生々しく入ってくるんです。

子どもたちにこそ見てほしい場所だなと、本気で思いました。平和や人権の価値って、こういう場所でこそ、ちゃんと伝わるんじゃないかなって。

まとめ
緑洲山荘が語りかけるもの

緑洲山荘は、台湾の歴史の中でもとりわけ重く、忘れてはならない記憶を抱えている場所です。かつては政治犯を隔離し、沈黙を強いた空間でしたが、現在ではその過去を語り継ぐための施設として役割を果たしています。たとえば、展示室や資料館では、当時の写真や手紙、囚人の証言などが紹介されており、訪れる人に当時の厳しい現実をありありと伝えています。つまり、緑洲山荘はただの歴史的建造物ではなく、語り部のように静かに、しかし確実に、記憶を未来へと繋いでいるのです。

そして、緑島の自然と歴史が交錯する場所、たとえば将軍岩のそばで風に吹かれながら空を見上げると、言葉にできないような感情が込み上げてきます。美しい景色が広がっている一方で、その土地に染み込んだ痛みや希望もまた、そこにあると感じられる瞬間です。だからこそ、緑島を訪れる機会があれば、ただ景色を楽しむだけではなく、その背後にある「記憶」や「声」にも耳を澄ましてほしいのです。そうすれば、今自分たちが享受している自由や平和が、どれほど努力と犠牲によって得られたものなのかを、心の奥深くに刻むことができるはずです。

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